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銀色の川を三つ超えたら

by 立花実咲|Misaki Tachibana

車輪の動きが直に座席に伝わり、ガタゴトと刻むように揺れて進む電車の窓から、一つ目の川が見えた。

南中時刻で真上に昇った白い日光を受けて、川の流れがギラギラと銀色に反射し、河原に茂る草木はそれらを覆うように黒い影になって揺れていた。

突き抜けるような空には、かすれたような白い雲が、切れたりくっついたりして間から水面に光を落としていた。

「銀色の川を三つ超えて」。

そう言われたことを思い出して、一つ目の川を見送って電車が止まると、切符を手に取った。

ここじゃない。まだ、あと少し。

そう思ってまた車窓の景色がゆっくり動き出すのを待つ。

発車した頃は、まだ人の頭がちらほらと座席の合間合間に見えていたけれど、一つ目の銀色の川を超えたら途端に見えていたいくつかの名前も知らない後頭部が消え、しん、とした車内でわたしは小さくため息をついた。

また、ごとん、と音を立てて電車が走り出す。

二つ目の銀色の川を見逃さないように窓の外を見る。ぴったり寄せた鼻先の窓ガラスが、呼吸のリズムとともに小さく曇ったり、息を吸うとその曇りがスッと消えたりする。

そんなふうに電車の小さなボックス席に身を硬くしているうち、まだ春を待つ茶色い木々の中を走る電車の代わり映えしない車窓に油断して、うつらうつらといつの間にか眠ってしまった。

ふと目を開けると、そこは灰色の川の上にかかる橋だった。

わたしはその橋の真ん中で突っ立って、川を見下ろしていた。

灰色の川は、底がよく見えない。濁っているのは生活用水のせいか、泥のせいかは分からない。

橋がかかっている両端は、霧が濃くてよく見えない。

けれど、ここ、よく知っている。

時にスキップして、時にうなだれて、時に急ぎ足で、時に満を持して、何度も往復した橋だ。t

時々、この橋から船が滑って行くのを、この上から見ていたし、夜は川辺で数店の屋台が灯す明かりを見ながら、晩酌の誘惑と戦っていたのだ。

そしてわたしは、この橋の近くで暮らしていた。一人で。

……一人で?

「銀色の川を三つ越えて」。

そう言ったのは、あなた、だっけ。

それとも、わたし?

先にこの橋を渡って行く、あなたに向けて、わたしが言った、言葉、だっけ。

「銀色の川を三つ越えて」。

越えて、どうするの?

越えて、どこへ行くの?

先へ行くよ。

先に行くの?

さようなら。

さようなら?

さようなら。

ふと目が覚めた時、電車はいよいよ、いくつめかの銀色の川の上を滑り抜けようとしていた。

その川は、しかと見届けた一つ目の銀色の川よりも幅が広く、長く、真上から少し西にずれた太陽に向かってゆるやかな曲線を描いて伸びており、太陽までの白く光る道のようだった。

あたり一面に反射した川の銀色に、まばゆさのあまりわたしは思わず目を細めた。

「これ、いくつ目だろう」

誰に問いかけるわけでもなく、ぽつんとつぶやいたとたん、急に心細くなって窓際に置いておいた切符に目を落とした。

遠くへ行きたいと思って飛び出した。それは昨晩のことなのに。

なんだかずいぶん長い間、こうして銀色の川を目指して、旅をしていたような気がする。

半日くらい眠っていたかのように頭がぼんやりとしたまま、わたしは切符を握りしめてもう一度車窓に目をやった。

「銀色の川を三つ超えて」。

そう、言ったのは、誰だっけ。

「銀色の川を三つ越えて」。わたしはそう、頼まれたんだっけ?

でも、越えた先に、何があるんだっけ?

銀色の川を越えた電車は、あいかわらずゴットンゴットン座席を揺らしながら進む。眠気まなこのわたしを乗せて、素知らぬ顔で前進する。

電車が入って行く、春の眠りの最中の森は、まだ閑散としていて白い光もここまでは届かない。

切符を握りしめた手は、じんわり汗がにじんでいてどこまで行くのだろうかと冬眠している森を見送りながら思う。

と、突然電車のスピードが遅くなった。

車内のアナウンスもなく、徐々に減速していく電車の車窓から、見覚えのある駅名が書かれた木造の看板が見えた。

銀色の川は一つしか見届けていないけれど、わたしはここで降りなければならないと思って、降りないともう二度と戻れない気がして──戻る場所は特にないのだけれど──汗ばんだ手に切符を強く握りしめて、大きめのスーツケースを太ももで押しあげて電車の急なタラップを降りた。

誰もいないホームに降りたち、フーッと息をつく。誰も確認しない切符は少しシワがよって不安げに手の中でつぶれていた。

わたしがスーツケースを押す音だけがホームに響き渡り、駅を出るとすぐ近くで川の流れる音がした。

その音のする方へ歩いて行くと、水面がおだやかにキラキラと銀色に光っていた。

ずっと車窓を見ていたのに、全然気がつかなかったな。

知らない間に三つ目の銀色の川を越えていたんだ。

わたしは再びフーッと息をついた。そんなに大きな川ではなかったけれど、銀色の水面はずっと見ているとそのまま溶けてしまいそうなほど艶やかに揺れていた。

「銀色の川を三つ超えて」。

そう遠くない過去に、名前の知らない誰かに教えてもらった道しるべ。追いかけて行ったら辿り着いた、この場所。

銀色の川を三つ越えたら、これからどこへ行くかは、わたしが決めていいんだ。

銀色の川の流れてゆく先には、先ほど見かけた白い太陽が、光をちりばめて浮かんでいた。


立花実咲|Misaki Tachibana
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